田原市教育委員会 平成21年2月1日

石神町中平野、宮ノ前、北屋敷にある平野貝塚は、昔から広い範囲にわたって貝殻があることが確認されていて、縄文時代の石器や、弥生時代の土器が採集されてきました。しかし、この貝殻がどの時代に捨てられたものなのかはわかっていませんでした。

今回は下水道工事にともない、貝塚に下水道管が埋設されることになり、こわされる部分の発掘調査が平成20年12月2日から18日にかけておこなわれました。このあらましは、地元の住民のかたにその内容をお知らせするために作ったものです。

発掘調査では、貝層(貝殻のある層)の下の黒い土の層から、縄文時代前期の石器や土器が出土しました。

縄文時代は縄目の文様がはいった土器で煮炊きをして、狩りや採集をおこなう社会で、約15000~2300年前まで続いていました。同じ泉校区にある伊川津貝塚は縄文時代晩期中心の遺跡で、今から約3000年前の遺跡でが、平野貝塚は土器の文様から、縄文時代の前期後半(約5500~5000年前)と、伊川津貝塚よりさらに古い時代の遺跡だということがわかりました。


縄目の文様がついた縄文土器の破片

ヘラを使って文様がついた縄文土器の破片


縄文時代の石鏃(せきぞく)

出土した石器は狩りに使われた石鏃(せきぞく・矢の先につける石器)、木を切ったり穴を掘ったりするのに使われた石おの、動物の皮や草を切るのに使われたといわれる石匙(いしさじ)などがあります。土器は縄を転がして文様をつけたもの、ヘラを使って文様を描いたものがあり、近畿地方や関東地方でもみられる文様の土器が見つかり、その地方との交流があったことがわかりました。

貝層からは弥生・古墳時代の土器、鎌倉・戦国・江戸時代の茶碗なども出土します。そして貝殻も細かく割れています。おそらく貝がたくさん捨てられた後、畑の耕作などで色々な時代の遺物が混ざったものと考えられます。

今回の発掘調査で、遺跡が広い範囲にわたってよく残されていたこと、吉胡貝塚、伊川津貝塚、保美貝塚よりもさらに古い時代の遺跡が存在したという大きな発見がありました。泉校区ばかりでなく、田原市の歴史を塗り替える大きな成果でした。


問い合わせ先

田原市教育委員会文化振興課  【電話】0531-23-3635


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